志士経営者倶楽部 活動報告

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活動報告 ひとりひとりが未来をつくる
第3次東日本被災地支援のご報告
2011年04月14日
今回は、加瀬名誉理事を通じてイスラエルの有力なボランティア団体である「IsraAid」からの要請で、宮城県内で被災した子供たちの心のケアの一環として「遊びを教え、一緒に遊ぶ」活動の支援を行いました。

(注)IsraAidとは
イスラエルに本部を置くボランティア団体。教育、医療、子供問題など幅広いテーマで活動している。その範囲は全世界におよび、世界で起きる災害地の被災民のために手を差し伸べる。ジャワ大地震や四川地震、ハイチ地震でも活動実績があり、東日本大震災被災地へは既に医療チームを派遣している。先に派遣されたチームが現地事情を掌握したうえで本国へ報告し、次のミッションが効果的活動ができるよう組織的運営を図っている。

     

@日本の子供たちが喜ぶ遊び道具と勉強道具を調達。
カードやゲーム、レゴ、シャボン玉、サッカーボール、野球道具に縄跳びなど、子供たちがみんなで遊べる道具と、フラフープやロープ、ドッジボールなど、IsraAidメンバーが遊びを教える際に使用する遊具など約200点と、色鉛筆やクレヨン、画用紙、ボールペンにノートなどの文房具を購入しました。

A情報収集と提供
日本事情、とりわけ被災地状況が分らないボランティアグループのために情報収集や情報提供支援を行いました。現地には宿泊施設はない事、交通事情が劣悪であるため自己完結が重要であることを伝え、車両と宿泊の手配を致しました。

B現地活動のフォロー
イスラエル側のカウンターパートである亘理町との合意内容に錯誤がありスケジュールの混乱が生じたため、仲介して調整しました。また、滞在期間に時間的ロスがあることが判明したため、IsraAidと協議の上倶楽部が独自に活動日程を追加。かねてから支援対象自治体として交流の深い宮城県山元町の避難所で「心のケア・子供たちのために」を開催しました。

C山元町での活動内容
4月14日 10時15分に山元町中央公民館避難所に到着。折から快晴であったため野外でのケア活動にすることに決定。避難所の職員が呼び掛けてくれて子供たちが三々五々集まってくる。約20名が参加。周りをご両親やお兄さんお姉さんと取材のマスコミが取り囲んで「遊び」は始まりました。
通訳が日本語で話しかけ、イスラエルを紹介しましたが誰ひとり知りません。

通訳が「それじゃエジプトは知ってる?」と聞くと何人かが「ピラミッドだ」と反応します。「そう、そのエジプト。イスラエルはその隣と覚えておけばいい」とわざと投げやりな紹介をすると「え〜っ。そんなんでいいのぉ?」とさっそく反応を示す。
言葉のやり取りから既に遊びに入って行きました。

最初は「面白い自己紹介」でした。IsraAidメンバーが、人を笑わせる自己紹介をやって見せましたが子供たちは若干気後れ気味。後ずさりする子供さえいました。自己主張の強い彼らの文化に対して「謙譲の美徳=(笑)=」を既に身につけている日本の子供たちにとってはカルチャーショックだったようです。
しかしIsraAidメンバーにとっては世界各地で同様の反応を体験しているので全く意に介さず、ひたすら笑顔で箔ョ的に遊びを提供する彼らにだんだんと親しみを覚え、30分後には全員で輪になって歓声をあげながらイスラエルのお兄ちゃんを取りあうように遊びに夢中になって行きました。
最後に、文房具や遊具を一人一人にプレゼントして遊びは終了。

最後に、私たちの提案でIsraAidが喜んで用意してくれた鯉のぼりをあげました。マンション用の小さな鯉のぼりでしたが、思いもしないプレゼントに子供たちよりもむしろ、大人の人たちが感激してくれました。
二時間にわたる遊びのケアでしたが、あっという間の二時間でした。
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>☆嬉しかったこと☆
終了したのが12時30分過ぎ。避難所の敷地を借りて持ち込んだ昼食を食べていると、そこへ一人、また一人と遊び終えた子供たちがまた集まってきました。
もっと遊んでほしいと、顔に書いてありました。

☆活動を終えて☆
一人で遊ぶことに慣れてしまっている今の子供たちに、みんなで遊ぶことを教えるIsraAidの「遊び」は大変参考になりました。例えば、みんな一人一人が面白い動作をしよう!と呼びかけ、まず大人たちが見本をやって見せるのですが、子供たちは恥ずかしがってやりません。そんな中、勇気ある少年が一人挑戦しました。IsraAidのメンバーは「今度はそれをみんなでやろう!」と呼びかけるのです。
恥ずかしがっていた子どもたちも、だんだん「次は僕、次は私」というふうに馴染み始めて行きました。
そして、最初は怖気づいていた子どもたちの撫棯見る見るうちに明るい顔になり、笑い声や歓声が響き渡るのに30分もかかりませんでした。みんなで一つのことやって遊ぶことの楽しさを子供たちも学んだと思います。彼らの子供たちに対する愛情が導き出したのだなぁとしみじみ感じた支援活動でした。
イスラエルに対して今まで以上のシンパシーを感じている私たちがそこにいました。

志士経営者倶楽部 佐々木俊夫、藤田裕行、井澤清吏
第2次東日本被災地支援のご報告
2011年04月03日
1日にメールでご報告した通り、福島県相馬市、宮城県山元町の要請に応じて4月3日に洗濯機、靴、上着などをお届けして参りました。
お届けした物資は以下の通りです。
・洗濯機 10台
・洗剤 10ダース
・靴 692足(川合社長から250足御寄附)
・トレーナー 43枚(井本会長からの御寄付)
・ジャージ上下 36組(井本会長からの御寄附)
・山田勝三幸運タオル 40枚(川合社長からの御寄附)
・プルーン 4000個(井本会長からの御寄附)
・お菓子類 277包(柳瀬理事長からの御寄附)


【物資支援活動の概要】
前回派遣の折、宿泊に支障があったことから、今回は日帰り活動としました。
そのため時間のロスを極力なくすため、安全輸送の久保田社長様にご無理をお願いして前日の午前中からトラックを借り受け、物資の調達と積み込みをほとんど終えることができました。今回もまた、トラックとともにETCカードと燃料カードまでご提供くださいました。
3日午前7時30分出発、途中でニコニコツーリストの川合社長が寄付してくれた女性用靴を受け取り、午前8時に首都高速で東京を出発。現地で燃料補給しなくても済むよう、高速道路のサービスエリアで給油。
福島市内で亀岡偉民先生と合流。支援物資の配布方法について協議。直ちに活動に入りました。
先行して現地入りしていた柳瀬理事長と相馬市役所前で合流。相馬市立向陽中学校とはまなす館を訪問。それぞれ支援物資をお届けしました。

その後、山元町へ移動。山元町役場で菅野総務班長と面談。指定の場所へ支援物資を運びこみました。
活動期間中、柳瀬理事長の4人のご子息たちが同行して、3か所の避難所で子供たちに直接お菓子を配って参りました。
思わぬプレゼントに子供たちは大喜びでした。お菓子の一部は、活動中の自衛隊にもお届け致しました。



【現地の様子】
●1週間前の殺伐とした雰囲気はだいぶ改善されて参りました。人々に少しずつ笑顔が戻ってきたと感じたのは私の勝手な思いではないと存じます。
●仮設住宅が進み、避難所からの移転が進展していました。前回訪問した避難所は既に閉鎖されていました。
●田園一帯を覆っていた瓦礫は、自衛隊の皆さんの献身的な活動でだいぶ片づけられ、風景も少しずつ変わってきました。
●段差ができていた道路もだいぶ修復が進み、車両通行の支障がだいぶ減少していました。

●前回訪問した時は、街中のガャ潟塔Xタンドは給油を待つ長い車列か、売り切れて閉鎖されたスタンドばかりでしたが、昨日の街中のスタンドは全て開店。給油を待つ車列もありませんでした。
●スーパーやコンビニなど、都会から物資が運ばれてくる商店はほとんど開店していました。

上記のとおり、被災者支援はだいぶ進んでいます。また、町の機狽烽セいぶ回復してきたように思われます。
今後は、復興支援と経済活動に対する支援に写って参るだろうと思われます。

【ちょっといいことがありました】
先週の朝食会では報告しましたが、前回訪問の際、瓦礫の山となった被災地集落を回った時、一枚の出生証書を見つけました。次の活動があったためそのまま東京に持ち帰っておりましたが、今回相馬市役所の方に「もし元気でおられたら渡して下さい」と託したところ、数時間後に携帯電話に知らない番号から着信が。でてみるとそれは出生証書に書かれた赤ちゃんのお父さんでした。家族は全員無事だが家は全部流された」ということでした。現在は避難所暮らしだそうです。柳瀬理事長の了解を得てこのお子さんにも支援物資を送る嵐閧ナす。
立った一枚の紙から、新しい交流が始まりつつあります。

義援金の状況については現在会計報告を作成中ですので別信にてご報告垂オ上げます。

志士経営者倶楽部 佐々木俊夫
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